2007年10月11日木曜日

母という女について

小学二年生から住んでいた金沢の実家には、母の化粧台が二階の子ども部屋にありました。もとより狭い家だったせいもありますが、そのせいで、私は小さい頃から母が化粧している様子を身近に見て来ました。それは朝の目覚めの時の布団の中で、家事に取り掛かる前の母の化粧姿でもありましたし、夜寝る時に化粧を落としている母の姿でもありました。

母の方はそんなに小さい時からそうだったから、子どもの私に化粧をしている姿を見せることに違和感が無かったようでした。しかし、だんだん大人になって来るにつれて、私は少し距離感を置いて見るようになりました。今思うと母には少し可哀想ですが、化粧という行為は化粧品というもので自分を塗り込めて、色々な見られてはいけない諸々のことを隠していく儀式(作業)のように思えたのです。

ひと昔まえの中産階級の家庭では、多かれ少なかれ、まだ父権社会の様相を残していて、自分勝手で遣りたい放題の父親と我慢する母親の図式が成り立っていました。女性が強くなった今の我々の世代とは大分様相が違いますが、母が化粧をしている姿を見ていると、色々な想いを塗り込めて、押えながら生きて来た女性の姿が重なって見えるように思えました。

でもまた一方で、化粧という、これまた単純で馬鹿な男を手玉に取る技術を生まれながら本能として習熟していて、それを楽しんでいる生き物でもある、ということも思いました。子どもとしては、少し意地悪で残酷だったように思いますが。

この詩は、大学生の私に話しかけながら化粧をしている母を後ろから眺めながら、漠然とそんなことを考えていた自分を思い出し書いた詩です。女性には怒られるかもしれませんね。どうでしょうか?


鏡の女    beebee

楽しそうな女が一人
鏡の中の自分に向かい合って
自分自身のために化粧をしている。
口紅をつけて 自分に
ニッと笑いかける。
あんまり笑いすぎて
目尻には皺がある。
口の回りにはこわい産毛も光っている。
四十をだいぶ過ぎた女が一人
自分の顔を塗り込めていく。
悲しいこともあったろうに、
憤ろほしいこともあったろうに、
頬紅をつけて
自分自身に向かって
微笑んで見せる。
鏡の中の彼女は
息子の私なのかもしれない。
鏡の中の彼女は
彼女の夫なのかもしれない。
あるいは
冷たく自分自身を見詰める
彼女自身かもしれない。
これからも彼女は一人で
化粧をするのだろう。
その時彼女は知っているのだろうか
本当の自分自身の姿を。



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