2008年3月30日日曜日
人生の公平性に想うこと
福沢諭吉が人の上に人を作らずと詠んだ時、長い間の身分制度になれた人間には青天の霹靂だったと思います。
また日本は近代から現代に至る過程で、色々な不幸な出来事に直面しながらも、世界の中でも有数の自由で豊かな生活を手に入れました。
でも古いヨーロッパがそうであるように、残念ながら完全な自由平等はあり得ません。門閥は厳然として存在し、経済的な格差も広がるばかりです。政治家、経済人、俳優・役者に至るまで二世のオンパレードです。
幸せなことに、普通の中産階級の家に生まれ、どちらかというと父権社会的な古い家庭に育った自分にとって、武士は喰わねど高楊枝、経済的な格差はそれほど気にならないのです。
しかし、天空を飛翔する自由な想念と芸術の才能に関しては羨望して止まない先達や天才がいます。
そして突然想うのです、” 人生は不平等だ ” と。
そうすると全てが不満に想えて来てこんな詩が生まれました。
認めたい気持ちと、認めたくない気持ち、どちらが強いのでしょう?
人生の平等さについての考察
天は人の上に人を作り、
天は人の下に人を作り給う。
天は人に二物を与え、
天は人に三物を与え、
天は人に四物、五物を与え給う。
だから彼は家柄も育ちも良く、
頭も良く、
スポーツ万能で、
スタイルも顔も良く、
性格も良く、
女性の憧れの的だ。
そのうえ僕も彼が大好きなんだ。
たとえ天に唾を吐き、
地に痰をを吐き、
口に口内炎を飼い、
奥歯の虫歯に麻酔を掛けても、
僕は彼を許すだろう。
文句はある。
でも人生は不平等だ。
人生は不平等であることにおいて
天は全てに平等なんだ。
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2008年3月21日金曜日
どうしてウサギは目を赤くして泣くのか
カラスの七つの子ではないですが、自分が小さな子供になって泣いている、そんなセンチな想いをつい口ずさんでしまいます。
いつまでたっても、自分を可哀想に思うのは幼い証拠かも知れないですが、それでも顔をうずめて泣いていたいと思う時があるんですよね。
ぼくはこれを、『 傷つける想いと傷つく想い 』と呼んでいます。ある時はだから、傷つける想いに僕たちは捕らえられる。どうしても逃れられない感情なんだと思います。
こころに大切なものがあるから、作用・反作用が起こるのだと思います。傷つけたくない大切なもの、それが自我なんでしょうか。
ここに二題の詩を載せます。『 耕ちゃん 』は初期の作品です。『 ウサギ 』は最近書いた詩ですが、読み比べてみると、背景は同じなんだと改めて気が付きました。
甘ったるい感傷ですが、何故か口ずさむのです。どうでしょうか?
耕ちゃん
耕ちゃんは泣いた。
泣いて 泣いて
耕ちゃんは
ウサギになった。
耕ちゃんが眠った
原っぱの上に
丸い大きなお月さま。
耕ちゃんはウサギになって
一人で泣いた。
*耕作…初期のペンネームです。
ウサギ
何時までも小さな、
子供でいたい。
目を泣き腫らした、
ウサギのように、
いつまでも独りで、
泣いていたい。
何時までも小さな、
子供でいたい。
目を泣き腫らした、
ウサギのように、
いつまでも独りで、
泣いていたい。
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2008年3月17日月曜日
嵐の後の雨の雫が蜘蛛の巣に揺れている
就職してすぐに独身寮に入りました。学生時代から詩を書いていたので、当時もノートに残していたのですが、これもその時の初期の詩を修正したものです。
田舎から出て来て、職場で緊張して働いて、やっと独りの部屋に入ると落ち着いて、何かが出来そうなんだけど、結局なにもできなかった時代でした。
日常の色々なものが心の網に掛かっていて、嵐の後の雨雫に揺れる蜘蛛の巣のように、ひっかかって、揺れているのです。ゆらりと重たく揺れている。
見上げると、その雨雫の一滴は天上から鉛直線上、一直線に自分に落ちてきます。そのまま脳天を貫いて、瞬間、私は闇に繋ぎ止められる、そんなイメージです。どうでしょうか。
春の夜に
きょうもまた
独り、
みなの寝静まった寮に
幼児の瞳を輝かし、
いじけた手足を伸ばす時、
心は嵐の後の
蜘蛛の巣のように、
暗く重たいものを抱えている。
糸を引き、
雨雫が私の心を闇につなぎとめる。
春の夜に。
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2008年3月15日土曜日
花の博物館にて
近所のお気に入りの場所に、千葉市の花の博物館があります。少し時間を置いて出かけると、前庭に植えられた花が変えられて、また違う雰囲気になっているのです。
今はパンジーが色違いに植えられて、文様を作っています。菜の花も綺麗に青空に映えています。これからチューリップ、薔薇へとテーマを変えて夏から秋まで楽しませてくれるのです。
写真は入り口の花桶を撮ったものですが、今一番美しい瞬間の花がぎゅっと詰まっている感じが良いでしょう。久し振りに温室の中の花も写真に撮りました。漸次ブログに貼って行きますので楽しみにしてください。
また、ここには併設してイタリアンレストランがあって、お昼の時間やお茶を楽しませてくれます。中庭に面したテラスに出れば、もう少しすれば気持ちよい風に顔を舐られることでしょう。そこもお気に入りのひとつです。
この詩は季節外れの夏のシーズンのものですが、このレストランで作りました。雰囲気は分かると思いますがどうでしょうか。^^);
お花畑の犬
お花畑はやっぱり春がいいかな。
紅い花や黄色い花も熱と湿気でいじけているようだった。
くろぐろした曇天に圧迫されて空気も熱く重たい日だ。
それでもレストランは昼食時で人でいっぱいだ。
庭に面したテラス席には犬連れの夫婦がランチタイム。
窓ガラスの外に出るのはうんざりだけど不思議に、
室内から見ると静かな風景でご主人のパイプもいい感じだよ。
シープドッグは飼い主の足下で元気に骨をかじっている。
犬ってどうして息づかいが荒いのだろう。
そりゃ、夏なんだから熱いには違いないよね。
前足と首筋に白いぶちのある真っ黒いその犬は
ふいに口を止めては飼い主を見上げたりする。
とっても忠犬のようだったよ。
両足で骨を押さえつけてかぶりついているその犬は
まったく一生懸命なんだ。
毛皮だから鼻筋に汗はないよね。
その時急に陽射しが強くなって、
一瞬その場の情景が影絵のように見えたんだ。
やっぱり夏だね。
情景は印画されたよ、夏だって。
お花畑はやっぱり春がいいかな。
紅い花や黄色い花も熱と湿気でいじけているようだった。
くろぐろした曇天に圧迫されて空気も熱く重たい日だ。
それでもレストランは昼食時で人でいっぱいだ。
庭に面したテラス席には犬連れの夫婦がランチタイム。
窓ガラスの外に出るのはうんざりだけど不思議に、
室内から見ると静かな風景でご主人のパイプもいい感じだよ。
シープドッグは飼い主の足下で元気に骨をかじっている。
犬ってどうして息づかいが荒いのだろう。
そりゃ、夏なんだから熱いには違いないよね。
前足と首筋に白いぶちのある真っ黒いその犬は
ふいに口を止めては飼い主を見上げたりする。
とっても忠犬のようだったよ。
両足で骨を押さえつけてかぶりついているその犬は
まったく一生懸命なんだ。
毛皮だから鼻筋に汗はないよね。
その時急に陽射しが強くなって、
一瞬その場の情景が影絵のように見えたんだ。
やっぱり夏だね。
情景は印画されたよ、夏だって。
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2008年3月8日土曜日
立ち止まる瞬間について
自分を振り返って考えて見る時ってどんな時でしょうか。自信を無くして不安になっている時? また、卒業や入学、入社等、新しい人生の展開に立ち至った時でしょうか。
自分に自信があって何でもできると思っていた時代から、少し回りが見えてきて自分のこれからについて考えないといけない時、上手く気持ちが切り替えられればいいと思います。
そんな時、ちょっとした勇気が必要なんだと思います。自分が歩いて来た道を振り返って、少しの想いが背中を押してくれる。また勇気を与えてくれる。人によってそれは少しづつ違うのだと思います。
あなたの背中を押してくれる力ってなんですか?それでも、一瞬立ち止る自分がいる。そんな瞬間が気になるんです。どうでしょうか。^^);
立ち止る影
誰もが想い出を求めて立ち止る時、
静かな息を継ぎ少しく肩を落とし振り返る。
回りの木々が色彩を落とし、
静かにあなたの瞳を見守るだろう。
あなたはふと手を見るだろう。
幼く柔らかった両手は
人生の荒波を掻き分け、
かさつき、
場所によってはささくれ立って、
鋭い痛みで思わず舌打ちをさせる事だろう。
さあ
また歩き出そう。
足下を確認して一歩前へ出る。
改めて回りを見回し、
流れていく人混みを視野に流しながら、
もう一歩前へ出る。
後はまたあなたを動かす力が
背中を押してくれる。
一瞬の人生の痛みがあなたにアクセントを与え、
まだ自由に歩み始める、
後に立ち止る影を残して。
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