カラスの七つの子ではないですが、自分が小さな子供になって泣いている、そんなセンチな想いをつい口ずさんでしまいます。
いつまでたっても、自分を可哀想に思うのは幼い証拠かも知れないですが、それでも顔をうずめて泣いていたいと思う時があるんですよね。
ぼくはこれを、『 傷つける想いと傷つく想い 』と呼んでいます。ある時はだから、傷つける想いに僕たちは捕らえられる。どうしても逃れられない感情なんだと思います。
こころに大切なものがあるから、作用・反作用が起こるのだと思います。傷つけたくない大切なもの、それが自我なんでしょうか。
ここに二題の詩を載せます。『 耕ちゃん 』は初期の作品です。『 ウサギ 』は最近書いた詩ですが、読み比べてみると、背景は同じなんだと改めて気が付きました。
甘ったるい感傷ですが、何故か口ずさむのです。どうでしょうか?
耕ちゃん
耕ちゃんは泣いた。
泣いて 泣いて
耕ちゃんは
ウサギになった。
耕ちゃんが眠った
原っぱの上に
丸い大きなお月さま。
耕ちゃんはウサギになって
一人で泣いた。
*耕作…初期のペンネームです。
ウサギ
何時までも小さな、
子供でいたい。
目を泣き腫らした、
ウサギのように、
いつまでも独りで、
泣いていたい。
何時までも小さな、
子供でいたい。
目を泣き腫らした、
ウサギのように、
いつまでも独りで、
泣いていたい。
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