何やら過去の記憶が蘇ってきて、どうしていいのか分からなく成る時があります。この頃は若くて突っ張っていて、自分では平気だと思っていたけれど、肉体的にも疲れていたんだろうと思います。
なにやら危なっかしくて、それでも何かなんでもできそうな時期でもあったような気がします。懐かしく感じるは年を取ったのかも知れません。
アルコールという触媒がもたらす、精神のアイドリングのような気がします。悲しいのではなくて、涙を抜く、そんな必要があったんですよね。
余分な言葉や余分な贅肉を削って、日常の出来事や時間で人を感動させれれば素敵です。言葉に力を。^^);
帰りの電車で / これもまた過去の記憶
私は自分が泣くとは思わなかった
同僚と酒を飲み
語り合い
別れた時
涙が出た
酒を飲んで居ても友に言えなかった
卑しい自分についての想いが
忘れてしまっていた何かの記憶が
突然
私を泣かせた
私は帰りの電車の中で泣いた
泣きじゃくり
背をずらし崩れ落ちた
他人を気にする余裕もなかった
寮へ帰って独りになるとまた
訳も分からず大声で泣いた
部屋の中を転げ回り
独り泣きじゃくった
布団を蹴り
空き缶を跳ね飛ばし
背広をしわくちゃにして
独り泣いた
私は酒に酔っぱらっていたのか?
私は自分が可哀想で/可愛くて泣いたのか?
何も分らなかった
泣いて 泣いて
私は眠ってしまった
これもまた過去の記憶だが
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2 件のコメント:
こんにちは、小原です。
また来てしまいました。
わたしもよく、昔を思い出して居ても立ってもいられなくなる時があります。
そういうのって自分で解決するしかないのだけど…。
何か前に進む時の儀式なのでしょうか…。
嫌だけど、とても大切なことのような木がします。
>これもまた過去の記憶だが
という言葉が最後に効いている気がします。
とても素敵だと思いました。
小原 あき さん、いらっしゃい。^^);
色々な局面でぼくたちは泣いてしまいます。本を読んでいても、映画を見ていても、結構泣き虫なんですよね。
でも、何かは知らず泣いてしまう時って自分でもよく分からなて、戸惑ってしまいます。そんな泣き方を書きたかった。
小原さんに褒めてもらってすごく嬉しいです。小原さんの詩には、何時も背景にストリー性があって、読ませる詩だと思います。だから小原さんに褒められると特に嬉しい。^^);
実は最後の一行は若い時に書いた原稿には入っていません。当たり前ですよね、その時は泣いた時だから。
その一行を入れて何か落ち着きが作品に付けられたと思いました。今までの時間と自分の気持ちの切りでしょうか。
是非またいらしてください。
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