2008年2月21日木曜日

遅れているという脅迫観念について


いつも遅れているという脅迫観念があるのです。自分だって多感だった時代があると想うのですが、どうも人より遅れている、と思う。^^);

中学生の時、高校生の時、自分は何を考えていたのか 、もしくは、何を考えていなかったのか、と時折考えます。

時代時代に合わせて感じるべき何かがあるとしたら、やっぱ遅れて来たのかと、心配になるのです。
掴まえたもの 、とりこぼしたものは何だったんでしょう?



遅れてきた少年
beebee
イデオロギーも歌もみんな遅れて来た。
生きて来た時間と意識の時間のずれを想う。
遅れてきた少年かな?
でも、
良くものが見えず、回りを確認もせず、
ただ急いでいた訳ではない。
気が付くとずれていた。
遅れているのか、
遅れてきたのか、
ぼくは心を締め上げられる。
追いつけない!?
でも遅れている。

もう遅い、
もう遅いと、
つぶやくおれがいる。
もう遅い、
もう遅いと、
つぶやくおれ達がいる。

共感するものよ
歩き回るおれ達を許してくれ。
彷徨し挫折するおれ達を見ていて欲しい。
いまあがき苦しむおれ達が
いつか掴まえるもの(取りこぼすもの)は何かを!

もう遅い、
もう遅いと、
つぶやくおれ達がいる。
追いつけない、
でも歩いているおれ達はいる。
おれ達を見ていて欲しい。
いまあがき苦しむおれ達がいつか掴まえるもの
(取りこぼすもの)を!
 

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