2007年10月31日水曜日

現実と認識と言葉












この詩について言うと、初めは詩のような感じに書けなかったなと思って、少し寝かしていたのです。

ただ、表題が気に入っていたので、捨てるには惜しいと思っていました。ぼくたちはみんな傷つき安くて無防備です。でも同時に人を傷つける加害者でもあるという想いがあります。その痛いコト バが人と人を繋いでいるのです。

つまり、この詩で私が表現したかったことは、この今という現代を生きる ためには、ぼくたちは言葉という媒体を使わざる得ない、そしてそれがために傷つかなければいられない自分自身と 傷つけずにはいられない自分自身がいるという現実。またそれに対するどうしようもない現在認識。それを繋ぐ言葉への共感の想いです。

傷つき傷つけなければ生きていけない、コトバという 現代の文明を持った人間の宿命って、少し大げさでしょうか。^^);



現実と認識と言葉

                   beebee


どんなに些細な現象が

ぼくたちを傷つけるかについては、

たとえようもないことだ。

すっぱり切り開かれた皮膚の切れ目から

どくどく血を引き摺り回し、

ぼくたちは歩いているのだ。




@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
  

2007年10月29日月曜日

soraが好きですか?















soraは見飽きないですよね。朝日や昼の力強い光、夕 日のsora、春の目覚めの力を感じさせるsora、夏の押さえつけるよう な光のsora、黄色い秋の光が拡がるsora、乾燥した冬のsora、日本 はいいです。

前にも書きましたが、わたしは金沢出身です。北陸のsoraもいいんですよ 。でも大学の先生は定年後になったらやっぱり太平洋岸に戻りたいと言 っていましたが。^^);

これから冬にかけての金沢の空は天候の変化が激しく て、東京のように単調じゃありません。晴れていると思ったら曇ってきて、いつの間にか雨が降って、急に雷 がなって雹が降って、その内に雲間が割れて来てまた晴れる。天候の変化に初めて訪れる人は驚くと思います。やっぱり日本の空は素敵です。 

みんなが一線になって、防波堤の上から海のsoraを見上 げましょう。今日は良い日になりますよ、って、この原稿の下書きを書いている時(土曜日)、外は雨でした。^^ );





空が好きだ

                    beebee


ぼくは空が好きだ。

抜けるような青い空が好きだ。

白く暗い雨の日の空が好きだ。

降り積む雪に朧に見えない空が好きだ。

日本の空が好きだ。

手を伸ばして雲を掴むように伸ばして、

見上げる空が好きだ。

ぼくは空が大好きだ。




@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
  

2007年10月28日日曜日

いつものイタリアンレストランで


いつも休日に昼食に行くイタリアンレストランがあります。

私が住んでいる千葉の検見川浜は埋め立て地のマンション群で京葉線の沿線にあります。そんな住宅地の中でまともなイタリアンレストランを経営するのは大変だと思います。

隣の海浜幕張にかけては未だにマンションが建ち続けているので、周辺人口は増えているのでしょう。でも海浜幕張と稲毛海岸というそこそこ大きな商業集積の間にあって、都心から離れたファミリーマンション中心の検見川浜のマーケットでイタリアンレストランを経営するのは大変です。

雰囲気を維持して、価格帯を維持して、恋人や家族が食事を楽しむ空間として一定のレベルを維持しながら経営するのはなかなか大変だと思うんです。だからつい応援したくなります。

いつもヘッドフォンをしながら音楽に頭を揺らし、上の空で注文をして、食事をしながら詩を書いてます。

単品で注文するのもいいのですが、ランチセットのコースがお勧めです。季節の食材によって定期的に変わるパスタメニューやメイン料理に加えて、前菜とデザートと飲み物が付いてとても割安です。味は保証します。美味しいです。

そんないつものイタリアンレストランで最初に書いたのがこの詩です。途中で遊び文句が《囲み》で入っているので抜いて読んでください。その後は駄作が続くのですが、定点観測のように詩を書くようになりました。どうですか?



曇天の午後、イタリアンレストランで     beebee


今日はまた曇天の気持ちが
重たくぼくを暗くする
通りを走り過ぎる自転車の少女も
手を繋いで歩いている老夫婦も
みんな静かな見えない時を歩いている
雨がやって来れば良いのに
蒸し暑い午後の空気をかき消すような雨よ
ざあっとやって来いよ
野球帽を被った少年が
思わず帽子を被り直すように
雑誌を片手に歩いているOLが
思わず雑誌を頭の上にかざすように
ざあっとやって来いよ 雨よ
ざあっとやって来い

《 遅めの昼食のレストラン
  前菜もメインも終わってすっきりと
  デザートとコーヒーを食べたいよ(笑) 》
   …はずして読んでね

鈍色のコンクリートのマンション群は
通りの並木道がラインを引き
イタリアンレストランの窓のサッシが
曇天を支えている
支えきれずこぼれ落ちで来るのが雫なら
ざあっと一人で浴びてもいいかな
夏の雨


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
 

2007年10月26日金曜日

カヌーが趣味だった頃に


まったく運動神経のない私が、カヌーが趣味でしたと言うとみんな一様に驚いてくれる。そこが面白くて始めたようなものだが、一時期カヌーに夢中になった時があります。

実は自分を変えたいと思ったけれど、どうすればよいのか分らなかった時に、近所のショッピングセンターの中にカヌー屋ができたのです。千葉の検見川浜の駅前のショッピングセンターに、何の必然があってカヌー屋ができたのか理解できませんでした。

確かに近くに人工の砂浜があってウインドサーフィンをしている人が多いのですが、カヌーばとちらかと言うと川を下る方がイメージに合うように思います。ましてや砂浜には合わない、海なら波静かな湾を漕ぎ渡るような感じで、砂浜の近くに浮かべても面白くないと思いませんか?でも確かに練習するにはよかったのですが。

その後、ひとりで那珂川をカヌーで下っていると、水底に力尽きた一匹の鮭が沈んでいました。私は思わずシャッターを切りましたが、手元がぶれて写真は鮮明に撮れませんでした。ただ、ぼんやりと横たわるそれが何かを私に告げたような気がしたんです。その不思議な思いを詩にしました。どうでしょうか?

そんな想いを詩にしました。読んで見てください。どうでしょうか?



望郷 ** うねる想い **
beebee
水底に力つきて沈んでいるそれは、たった一人
でこの大きな川を遡って来た。独り流れに逆ら
い、早瀬をむりやり腹で押し渡り、波のうねり
を越えて、今は蒼い水深く静かに休んでいる。
躍動する流れを飛び跳ね、大きな石を越えて登
って来たそれは、今は力つきて水底に鈍色*1に
光る腹を見せ、水面から高く空を見上げている。
黒い眼球はぐるりと廻*2り静かに思い出す望郷
の想い。
若者が漕ぐカヌーが今彼の上を通り過ぎる。ふ
っと漏らした水泡を何の想いか、潜*3らせた若
者の手がすくい川下へ持ち帰ろうとする。
数時間が過ぎ波静かに閉じる想いは夕日をせせ
らぎに映す。川面を遙かに見晴るかし望む海へ
と遊ぶ心と共に西日の内を漕ぎ渡る。手離す気
泡は波に揉まれて消えて行った。深く暗く蒼い
水の内へ静かに帰って行った。下流に拡がる石
油コンビナートはダリア色の想いに染まり金色
に紅く広がり、碧く冷たい空気に浸食されてい
る。静かな故郷への思いは波の下へ下へ拡がる。
気泡の夢。

 *1 鈍色:ニビイロ
 *2 廻り:メグリ
 *3 潜ら:クグラ


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
  

初めての詩らしい詩

初めて書いた詩らしい詩は『血蛾(自我)』というものです。表題の通り、自我と血蛾を洒落で重ねた表題となっています。

自我、その想いを血の色をした蛾で表現したものです。つい自分から傷つかないとすまないもの、それは触らずにいられないもの、構わずにはいられないものであり、その自虐的な強い想いが溢れ零れて、鱗粉のように輝いて周りに付いてしまう。そんな情景です。

初めての詩は人によっては、恋であったり、愛であったりするのでしょうが、自分の場合は自我でした。きっと同世代の人ならば共感していただけると思います。ちょっと表現がどぎついとか、稚拙とかいうことはあるでしょうが。^^);

このテーマは私のそれから、繰り返し登場するテーマになりました。ブログには傷口(詩)として、目次整理をしています。ブログを是非読んでみてください。いやになるかもしれませんが。




血蛾(自我) 

                 beebee


血蛾が私の手に止まっている。
皮膚を引っ掻く三対の足。
私は妖しげな寒気に浸り
私の眼は喜びに満ち
その喜びが零れ落ちて血蛾の羽根を打つ。
ブリッとした紡錘形の腹部を撫でぞると
二つの指で扱きたくなるような
柔らかさとひだひだだ。
私の指に羽毛のように優しい鱗粉が絡みつく。
手の中に握られた血蛾は狂ったように腹部を振り
私の手は妖しげな喜びに震え
身体じゅうの毛穴から嘔吐が噴き出す。
握り潰すと私の指は緑に濡れ
腸のように白い糸が潰れた腹部から架かる。
血蛾の戦慄きにも似た痙攣は
その糸を伝って私の心につたわっている。
心の中に溢れている
この妖しげで病的な喜びは何だろう。


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

 

2007年10月24日水曜日

想像できない想像について

今思い出してみると子どもの頃よく兄弟で話している中で、色々想像できない話をしていたように覚えています。本当にそうなのか自信はないのですが。

想像できない想像って何かと言うと、例えば昔活躍していた漫才夫婦が定番でやっていたネタに、地下鉄の電車をどこから入れたのか考えていたら寝られなくなったと言うのがありますが、その類の話です。

考えても仕方ないけど何か面白くてクスリと笑う。ある意味、頭の体操みたいのものかも知れません。思いつくと結構うれしくて人に話たくなる、今思うと懐かしい感じがします。

この詩を書き出した時はそんなことを書くつもりがなかったのですが、書き出してからいつの間にかそんな話に流れていって、最後には夢の中にいるような詩になってしまいました。だから、まったく計算していないもので、題名も後から付けました。

クスリと笑って貰えれば成功です。どうでしょうか?



イマジネーション

                         beebee


暖かい色
冷たい色
色々あるけど、
何色が好き?
ぼくはダイダイ色。
暖かくて何か期待させる色。
晩秋の夕暮れこれから寒くなる時のマフラー。
想像できた? いいでしょ、暖かそうで。
まだ早い?
じゃ、藍色にする。
夜の空の色。
よく見ると晴れた夜の空はまばらな雲を掴まえて、
登って行けそう。
落ちていけそうかな?
逆立ちをした自分を想像すると、
両手で大地を大きく捧げ持っている。
足下はだから雲の土台がなくっちゃね。
あ~あ~って、まっさかさま。
みたい?
笑ってくれた? 成功!成功!
想像出来ない想像って楽しいよね。
次は月を回る大きな球。
だんだんおおきくなって地球に届くの。
どうなる?
月と地球の同時ローラーかな?
じゃ、はしご
月に向かってはしごを伸ばすの。
そしてついに月に到達! 到達!
乗ってる君は月に刺さった棒にしがみついている人間。
くるくる振り回される?
目が回って、はしごの手を離すの。
その時、君は月に落ちる? 地球に落ちる?
さぁーどっち!?
だめ、寝ちゃ! また来るからね!
約束だよ!
って、夢の中の君は消えた。
だから、
ぼくは覚めない夢の中にまだいる。



@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
 

2007年10月22日月曜日

夕暮れの情景二題

わたしは夕暮れから夜になるまでの間が好きです。どこかで一瞬に夜になるんじゃないかと待っていると、空気がいつの間にか藍色になって、まわりの空気が夜のエネルギーできらきらするような気がします。仕事帰りによく日比谷公園に出没してました。

そんな情景を書いた詩が二題あります。両方とも、実はお気に入りなんですが、評価は分かれるようです。投稿サイトによってはまったくコメントも貰えなかったりしました。

二つとも同じ情景を書いているのかもしれません。読み比べてください。文字の配列もそれぞれ違えた方が良いような気がするのですが、どうでしょうか?

転生の瞬間     beebee

** 夕方、公園のベンチで **

ぼくは夕方の景色が好きだ
建物に夕日が当たって輝き出す

(と直ぐに)

周辺の空気が藍色に染まり出す

(それでもまだ)

一部に明るい青を残している空

(日が落ちると)

だんだん濃くなる藍と青のせめぎ合い
まわりが暗くなると反対に
地面の草や花が光を帯び始める

(そんな時間帯)

日中の微熱を残しながら冷えていく空気が好きだ
ひとり公園のベンチに座り静かに日が落ちるのを待つ
目蓋を落とす一瞬の切れ目で夜に入れ替わる瞬間
ばくは新しい生を受ける
夜はぼくの馴染みのもう一つの別の時間なんだ

ようこそ、スタートだね



タイヨウのうた
beebee
日が沈む時、あなたは何を思いますか?
夕日がビル街に反射して
アスファルトに撒かれた水がきらめきを残している
静かに息をひそめる温度に
あなたの手は冷ややかな熱を感じるだろう
冷めているが暖かい空気が流れていく
日比谷公園にあるレストランの飾り窓に置かれた
オレンジの塊は手を伸ばすあなたを逃れて
虚空へ消える
その鮮やかな手品に都会人は呆然と立つままになる
外灯に明かりがともり
身体に暗いコートをまとう時
独りベンチに座り
想い出に涙するのはわたしかもしれない
もうしばらくこうしていよう
心地よい眠りが私を誘うまで
もうしばらくじっとしていよう
タイヨウが眠るまで


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
 

2007年10月21日日曜日

日常の仮面を外して

就職をしてから、初めの頃はまだ詩を書いていられたのですが、だんだん仕事が忙しくなったり、もしくは仕事が面白くなったんだと思います、いつの間にか詩を書かなくなっていました。その頃は週休二日制でもなく、土曜日も普通の日のように仕事をしていました。仕事が日常で日常が仕事だけになりました。残業も当たり前だし、夜も仕事を家に持って帰るのが当たり前でした。

そんな時、休みの日もまた明日が仕事だと思うと、頭の切り替えもできませんでした。新入社員だから当り前だと言えば当り前ですが、毎日仕事から精神的に解放されるまで相当時間がかかったと思います。バブルがはじけてこの方の今とは様変わりだと思います。

だから前にも書いた通り、就職してからの自分の詩は夜の様相を観察するところから始まったような気がしています。日曜日にはぐったり半日は寝ていて、カーテンを落として生活していて、目が覚めるともう半分休みが終わっているっといった具合です。

自分を取り戻すためには、カーテンを厚く閉ざして、日常の何物も考えず、今思うと贅沢な時間の遣い方、つまり無駄遣いに一日が終わることでした。でも、実際そんな時間が自分を自分らしくしていたように思います。そんな様子を書いたのが『カーテンを厚く閉ざして』です。

自分の作品の中では詩を一度止める前の初期の作品ですが、自分の中では気に入っている詩のひとつです。残念ながら幾つかの投稿サイトに投稿しましたが、全然反応はありませんでした。

でも、自分の初期の代表作だと思っているんです。読んでみてください。^^);



カーテンを厚く閉ざして      beebee


日曜日の昼下がりに
ぼくは窓に厚いカーテンを降ろす
日は高く空気は膨らんでいる
日光を部屋に入れてはいけない
厚いカーテンを降ろし
コカインを傾けよう
頭脳を混濁させ
熱い眠りの快楽に
体を弛緩させる
午後
都会人の快楽
さあ
コカインを傾けよう
精神を堕落させよう
肉体は今日一日の緊張から解き放たれ
静かに寛いでいる
アルコールランプが燻り
部屋の空気は扇風機に攪拌されている
物憂い初夏の昼下がり
部屋を厚いカーテンで閉ざし
身体を閉じ込める精神の内
立場は今逆転する
日中の重要なものは悉く意味を失い
何でもない精神の翳りこそが今一番重要なのだ
精神の怠惰な物憂さの内に
人間の一生を生きるのだ
午後
鮟鱇のようにくわえ込み過ぎた雑多のものを
精神を惑わす悉くの物を吐き出そう
どくどくと
脈打つ血管の
痛みこそ
身体は知っている



@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
 

2007年10月20日土曜日

カナリアのフランケン

昔カナリアを飼っていたことがあります。それは入社して2年目くらいの時でした。私が入っていた独身寮はもちろん動物厳禁なわけですが、金魚や熱帯魚のようにこちらの話し掛けに反応しない動物じゃなくて、こちらの想いを感じてくれるような動物が飼いたかったのです。

犬や猫はもちろん飼えませんから、鳥ぐらいだったら、鳥かごに入れておけば部屋の外に出るわけでもないので見つからないかも、見つかっても許してもらえるかもと考えたのでした。

思い立つと我慢できなくなって、すぐに休日にペットショップに出かけました。ペットショップで鳥かごと一緒に買ったカナリアを背中に隠しながら、寮のおじさんの目を盗んで、寮の裏口から持ち込みました。

本当に小さい時から飼って餌をやれば、親と間違えて手乗りにもなるそうですが、そうもいかず、幼鳥でも独りで餌が食べれるくらいのものを買ってきました。名前はふざけて、フランケンシュタインは長いのでフランケンにしました。小さくて可愛いので逆受けねらいのネーミングです。

本当に小さくて、じっと見ていると弱々しい姿が痛々しく見えてくるのは、人間の勝手な思いこみですよね。

餌をやりながら、手乗りにできないかやってみましたが、やっぱり無理でした。鳥かごから出すとどこかへ飛んでいってしまわないか心配なので、部屋を閉め切りにして外に出して遊んでいました。

フランケンは鳴かない鳥で、部屋に置いたまま仕事に出ても心配ありませんでした。それがある日、テレビドラマの中で、昔流行ったインベーダーゲームのピキュンという音が鳴った時から、急に鳴くようになってしまいました。独身寮ですから、これまでは別に部屋に鍵も掛けていなかったのですが、それからは鍵をかけるようになりました。秘密モード全開になりました。^^);

でも半年くらいして、数日寮を開けることがあって、少し多めの水と餌をおいて出かけたのですが、戻って来ると死んでいました。やっぱりあっけないくらい弱い生き物だったんだと痛感しました。寂しいと生きていけないのかな、なんて考えたりしました。

寮の裏庭に埋めたのですが、今はその場所も思い出せません。フランケンは土に帰ったんだと思います。独身寮が今も同じ場所にそのままあるとも思えないので、本当に記憶だけになってしまいました。

寮に帰って、フランケンを見ていた時に書いた詩です。今も読むと少し胸が痛くなります。読んで見てください。


カナリア     beebee

この
かよわいものの
眼を
凝視めてはいけない。
痛々しいくらいに
幼い
このカナリアは
まばらに生えた羽毛の隙間から
紅く透き徹る皮膚を見せている。
嘴だけが一人前だ。
地を
首を少し横に倒すようにしながら
嘴で
叩く。
軽快なリズム。
動きの中に
生気が溢れている。
だから君よ、
この
かよわきものの
眼を凝視めてはいけない。
無邪気な神よ。
幼き小鳥よ。


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
 

2007年10月19日金曜日

血の繋がりの意味について

生き物というのは、生きること自身が目的のような気がしませんか。昆虫の一生なんかを短縮して見ていると、生まれて、子孫を残して、死んでいく、それだけのような気がします。無限に続く連鎖の中で、血って何なんでしょうか。

次の詩は、昔、父に無性に腹が立って思わずした仕草が、その父親との血の繋がりを感じさせられて愕然としたことがあって、それを題材にしています。自分もまたそれを子どもに引き継いだという、厳然たる事実にどう考えて良いのかと、今も良く考えている題材です。
 
今は唯一無二に繋がっているということに、少し奇跡のようなものを実は感じています。きっと意味があるような気がします。どう思いますか?

血の因循の想いから旋回するような想いを旨く表現したかったのですが、力足らずですね。朧に見えているところがあるので、次回吐き出す時にはもう少し、面白い表現ができるかもです。^^);


因循と輪廻と繋がる想い     beebee


掴まり立ちする息子を支え、
私に振り向く妻の肩先に思い出す情景がある。
思い出すとあの日私は
父親の傲慢な仕打ちに猛然と腹が立ち、
押し入れの中の布団に向かって拳を突き入れた。
幼い頃にはその中に隠れて
自分を押し殺しもしたが、
また別の日には悪さをして閉じ込められた暗闇へ
拳を突き入れた。
母や兄には平然とした姿で通そうと思い、
心を落ち着け戻ろうと振り向いたが、
振り向いたその姿に
見覚えがあった。
その仕草に見覚えがあったのだ。
私は愕然として打ちのめされた。
繋がっているという明快なるシグナル、
血というものが持つ逃れられない運命の力、
この世の全ての否定すべき物の第一等にこそ、
自分が繋がっているという血の意識に
打ちのめされた。
あれから何年経つのだろう?
今では定かでない理由から発した衝動に
私は確かに打たれたのだった。
掴まり立ちをし始めた息子を見て妻が言う。
ほら右の肩先を下げる歩き方、それって
あなたに似てるわ。
ほら振り返る仕草って、あなたに
そっくりよ。
私は心の奥の奥の底の底の暗闇に繋ぎ止められる。
私が父から引き継ぎ、
全面的に否定しようとした何ものか全ては、
この子に引き継がれてしまった。
それは何か?
未だに私には分らないのだ。
でも、
それは一種の奇跡なのだとも思うのだが。

奇跡
あなたは奇跡を信じますか?


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
 

2007年10月17日水曜日

戦争の様相(その②)

前回は写真を見た時の自分の衝撃を書きました。でも戦争の様相は最近さらにエスカレートしていると思います。ABC放送だったと思いますが、はっきり覚えていないのです。それは南米かアフリカの戦争現場を現地撮影に入ったクルーの様子をまた別のビデオカメラが撮っていたものでした。

その米人記者はまったく無音の情景の中で、検問の軍兵の指示で車から降ろされ、跪き、両手を上に上げて、従順を示していました。気まぐれなその兵士は靴のつま先でこづきながら、俯せに寝かせ、その背中から何の躊躇もなく、ドンと一発で撃ち殺したのです。

その音の入っていない映像は熱帯の情景と共に、あたかも非現実的で非情な情景を完璧に表現していました。凝固したような一瞬の時間をどう表現していいか分りませんでした。前回のベトナム戦争の記事は写真だったので、その後のことは想像するしかないのですが、まだ、それまでなのです。この場合は現実としてのそのリアルさは想像の余地を残さない絶対的な暴力であり、現実(リアル)でした。映像という暴力に私はぶん殴られ呆然としました。

でも、今ではどこにでも起こっているように思えるのです。この想いをどう表現すれば的確に伝えることができるのでしょうか。今読み返してみても、肩に力が入っていて、自分の無力をを痛感します。


報道     beebee

米人記者は
跪き
爪先の攻撃の内に
大地の上に横たわった
軍兵の銃口は
彼の目をつむった背を狙い
弾丸は無音の内に
彼の右背から左腹へ抜けた
石を落とされたでもしたような
反動と
土煙と
大地の熱気に凝まりついた時間の中で
彼は無意味に死んだ
死とはこれほど無意味で
無機的なものだとでもいうように
彼は体をつとゆすると
力を四囲に四散した
あとは
物言わぬ物体が
一定料の空間を占め
物理的な重さ以外に
その存在を計ることはできない
そこでは
死はあまりに無意味だった
衝撃 → 無
死。


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

 

戦争の様相(その①)

戦争については、特にメッセージを流す主張や思想はありません。ただ、その非人間的な側面が確かにグサリと自分を刺した瞬間があります。

一つはベトナム戦争当時の報道写真を見た時です。もしかすると反戦のブロパガンダ用に加工された写真かもしれません。伝えたい想いを主張できない状態で問答無用に拳銃を突き付けられた青年の写真を見た時の彼の無力感を思うととても正視できませんでした。

同時に、自分はなんと自由な国に住んでいるのかと実感しました。今ベトナムはむしろ治安のいい国として産業誘致に取り組んでいるそうです。国際化が進み、日本人の観光客も多いと聞きます。この国を作りあげた若者は今何を想っているのでしょうか。これは初期の散文詩です。


報道写真    beebee

藍色の寒気に塗り込められた勉強部屋の中で、私は一枚の報道写真を思い浮かべていた。後手に両手を縛られ、こめかみに擬せられた自動拳銃に、眉をしかめ、顔をしかめたベトナムの若者よ。口を少しく開けるようにしたこの若者の手はきつく握られているのであろうか。この若者が死を賭して行おうとした貴い何かは、彼の死によって成就されたのであろうか。

否、否、絶対に否。

それ故に貴いこの若者の命に、私は絶対的な問いを突きつけられたように思った。

@人気blogランキング@ ← クリックよろしく
 

2007年10月16日火曜日

ペットという家族の哀しさについて

わが家ではペットとして、シーズー犬の雌で15歳になる老犬を飼っています。ちょうど今のマンションに移り住んで来た時に、たまたま、ペットを飼うのが許されているマンションだったので、妻の実家の近くのペットショップから6ヶ月になる幼犬を購入してきました。

室内犬でもあり、あまり泣かない犬ということで、親戚にシーズー犬を飼っている人がいて様子が分かっていたこともあって、この犬種に決めたのでした。まだ手の上に載るような幼犬だったジェニーはその後すくすくと育ち、シーズー犬としてはやや大きめの成犬になりました。

飼ってから時間が経ってくると、幼くて可愛かったジェニーも老犬になって、人間でも動物でも生きていく時間軸があって、その前では全てが厳密に平等であることに気づかされます。その時間軸が人間より間違いなく短いことで、家族の中に哀しい現実を突き付けるのです。

そんな気持ちを込めて書きました。読んで是非感想を頂ければと思います。 ジェニーとはもう少し優しい時間を一緒にすごしてやりたいと思います。


丸まっているジェニーに
beebee

ここに丸まっているのはうちのジェニーです。
15才を過ぎて老犬になりました。
若い頃、肋骨の形が悪くて手術した時
勧められて避妊手術をしました。
だから子どももいない独身です。
おちゃめな雌犬です。
鳴かないので猫犬かもしれません。
若い頃はソファーに寝そべるぼくのお腹のところに、
一緒に横になって寝てくれました。
最近は抱き上げると唸り声を上げて逃げます。
でも、毎朝、毎晩、ぼくの送り迎えをしてくれます。
おしっこをすると、自慢をしにやってきます。
おやつをねだるためです。
躾けのための訓練です。
待てとお手とお代わりとチンチンでもらいます。
一日の大半をべったり寝てすごしています。
前足をそろえた上に顎をのせて
たまに少し横向いたりすると人間のように見えます。
急に年老いた麗人のようになってぼくに頷いてみせます。
何か聞いてごらん、私はなんでも知っている、
私はなんでもあなたのことを見てきたのよって顔します。
でも老犬になって目やにが付きやすくなりました。
うっすらと片眼が白くなりました。
じっと玄関にうずくまっていることが多くなりました。
毛がぱさぱさになりました。
たまにお漏らしするようになりました。
なりました、は悲しいよね。
ずっと、そのままでいられれば良いのにと思います。
初めは子どもかと思いました。
今は移り気な恋人のように見えます。
ぼくの記憶もなくなってしまうのでしょうか。
見ていると切なくなるような気がします。

ジェニーはシーズー犬の雌で15歳です。
一応血統書あります。
このマンションに移る時一緒にきました。
ぼくの相棒です。


追伸

    今ジェニーが通り過ぎていきました。

    かさこそ音がするのは何故か?
    肉球に毛がつまっているから。
    お尻が壁に擦れているから。
    廊下が掃除されていないから。 
    全部理由です。 ^^);


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

 

2007年10月15日月曜日

不可思議なものたち

これまで自分が見た不思議と呼べる物は二つあります。

ひとつは小学生高学年の夏休みのこと、二番前の兄と夕方に外を散歩していた時のことです。金沢の自宅の近くには小さな川が流れていて、居るはずの無い蛍でもいないかと、馬鹿なことを考えて様子を見に外へ出たのでした。ちょうど日が沈んで夕日の残り香が消え、夜になろうとする時でした。

当時の自宅は路地の奥の借家で、自宅の前には大家の畑があって、その脇を小さな川が流れていました。町中の一角ではありますが、小さな川に沿って畑や空き地が続いていて、川向こうには桐畑があって放置された土地は少し荒れていました。

テレビのニュースで見たのか、キッカケは忘れてしまいましたが、居るはずも無い蛍を探して、兄と二人で外に出て川沿いを歩き出しました。その時、二人は白い不思議なものが流れるように川沿いの道を移動して、途中の橋を渡っていくのを見たのです。それは二対の白っぽい影のようなもので、人と同じくらいの高さをすーっと移動して行きました。

兄と私は思わず顔を見合わすと、ぎゃっと声を上げ、自宅へ向かって我れ勝ちに走り返えりました。確かに見えた白い影のようなものは不自然な自然さで移動して行き、間違いなく川を渡って行ったのでした。それが何だったのかよく分りませんが、子ども二人が顔を見合わせて大急ぎで逃げ出させる不可思議な情景だったことは間違いありません。

これが友達と「怖い物話」をする時の第一番の話なのです。がっかりした人には申し訳ありません。漠として不確かな話で今でも真相は分らないのですから。

そしてもう一つが狸囃子です。これはもう間違いようもなく詩の情景のように、向かいの山の中腹に明かりがチラチアラしている様子を賑やかな音楽と一緒に自分がこの目で見たのでした。

それでは、終わってしまった自分の小さい子どもの頃の夏休みを思い出しながら読んでみてください。でも、これは本当にあった不思議な話ですから。



狸囃子     beebee


小学生の時、
夏休みにはいつも
母の実家に帰って、
おばあちゃんのおとぎ話を聞いた。
従兄弟達と一緒に横になって
おきまりの昔話を聞いた。
遠くに盆踊りの音楽が聞えてきた。
狸囃子や、と従兄弟の兄ちゃんが叫んだ。
みんなで母屋の前の道に出た。
向かい山のあたりで灯りがチラチラと揺れていた。
賑やかな太鼓囃子と盆踊りの音楽が聞えてきた。
ほんまやねぇ、と同い年の従兄弟の子が言った。
なにぃ、と言うと、
向かい山には村は無いと言う。
あれは空気の屈折や。
いっちゃん大きい兄ちゃんが言った。
灯りは見えるけど蜃気楼だと言う。
すぐそこの手が届きそうな近くの山に、
確かな賑わいを感じながら、
ぼくたちはずっと立って見ていた。


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

2007年10月14日日曜日

暗闇について

暗闇というと、暗くて、冷たくて、マイナスのイメージだけを考えると思いますが、私の場合は混沌として・理解不能な・物の根源的な所で・色々な物と繋がっているところ(空間)のイメージがあります。

だから具体的な表現としては「心の暗闇」だったり、「古い古墳の石組みの間の暗闇」だったりする訳ですが、それは過去と未来という時間を繋ぐ場所であり、「ここ」と「そこ」あるいは、具体的に隔たった場所(世界)を繋ぐ空間であり、物質的なものと心理的なものとを繋ぎ合わせる接点であり、さらには他者と自分を繋ぐ接点である、混沌とした何か(空間)のイメージです。

それは何故かというと、物は全て根源的な所で何かに繋がっていると信じているからです。全ては孤立して存在し得ない物であり、何処かで何かに繋がっている。大きく言うと宇宙の意思(輪廻する想い)のようなものをイメージしています。

その中で我々人間はコトバで繋がっているものであり、その背景にある想いで繋がるものだ、というイメージです。次の詩はその自分の考え方が見えて来た詩だと思っています。



暗闇    beebee

五月の
終わりの
静かな
夜の
暗闇は
遠く
無限の
彼方の
暗闇へと
続いて
いるか

滴り落ちる
闇の雨滴は
鉛直線上
一直線
ぼくの脳髄を
貫通する

《 その時
 ぼくは存在を与えられる
 全ては生まれ
 位置づけられる
 言葉は意味を持ち
 天地は創造される 》

それは
宇宙の
生まれる
以前の
『意識』
世界の
万物の
『回帰』

五月の
終わりの
静かな
夜の
暗闇は
遠く
無限の
彼方の
暗闇へと
続いて
いるか


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

 

2007年10月13日土曜日

自分のスタイルを求めて

詩作を再開してから、ブログ『忘れられた記憶を求めて』に詩を発表し始めました。その時のあいさつの最後に次のように書いています。

《  前々から気になっていたのに始められなかった想いがここにあります。ずいぶん回り道をして来たけれど、もう一度生活の中で詩や小説を書くことを正面 においてやってみようと思います。だからと言って、別に今のサラリーマン生活が変わる訳ではないのですが。まぁ、言い訳は良いからまた始めようかと、思っ た次第です。

それで表題は『忘れられた記憶を求めて』にしました。もう一度自分の中の想いを確認しよう。過去の創作ノートを見直すことからはじめます。 》

発表する順番はできるだけ季節に合わせて、写真のイメージと合うように出し始めましたが、次第に詩のストックもなくなり、毎日新しい詩を書き始めました。ブログを開始した時から、必ず一日に一編は詩を書こうと決めていたので少し無理な調子の詩もありますが、今もこのルールは守っています。

その内、少し自分が従来と手法が違って来ているなと思うようになりました。それは、最初に質問文を入れて見たり、語り掛けや話言葉を多用して、より具体的に事象を記述して、それで何かを伝えられないかといったことを考えるようになったのです。散文詩から入ったせいなのかも知れません。

この詩はその変わり目の作品です。この後に『イマジネーション』『星空を見上げる者たちへ』『丸まっているジェニーに』『一度だけの人生』を書きました。これいいなって思って繰り返し書いている内に自分なりのスタイルの一つのように思えるようになりました。

でも、最近は少し悪のりして来て、詩なのかショートショートなのか分らないようなものも書いていて、実は少し反省しています。ただ自分でもこの後どういう風に変わって行くのか見てみようと考えています。

できれば、続いて『イマジネーション』『星空を見上げる者たちへ』『丸まっているジェニーに』『一度だけの人生』をお読みください。



 夢    beebee

夢ってなんだろう
大きな夢、小さな夢というけど
どんなものだろう
ひとによって違うんだろうなぁ、でも
この言葉だけで心がときめくのはなぜだろう
このごろ思う
自分に何が出来て何ができないのか?
そんなことがまた分らなくなった
羅針盤はないけど出来ることから順に進んで行けば
とこかに辿り着くと思ってた、だから
方向は決めているから一歩一歩進めばいいんだ、でも
そんなことが気になってしまう
可能性じゃない
自信じゃない
希望でもない
でも、運命を信じよう
単純に考えるようにしようと思う、けど
ついふらふらする自分の心に、がっつんだね
いっぱつ、蹴りおねがいします
前に向いて行きます


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

2007年10月12日金曜日

鬱陶しい者

前に他の人のブログにコメントを付けて、手ひどく拒否されたことがありました。その時自分は思い上がっていたのかも知れません。今考えても特に変なコメントではなかったはずですが、一部自分なりの言葉使いをしてそれが、物わかり顔の嫌みな奴に見えたのだと思います。

その時書いたコトバに嘘はありませんが、あざとかったのです。

でも、気が付いたその時には、すでにコメントを付けられないように設定を変えられていて、言い訳も許されませんでした。伝わらないコトバと自分の力のなさに打ちのめされる想いでした。言い訳無用の拒絶でした。

鬱陶しいと書かれた私は、もしかしたら自分のことを嫌うだけではなく、どんな奴なのか、公開していたブログを見に来るかもしれないと思いました。いや、こんなコトバを付けた男がどんな奴か絶対見に来るに違いないと思いました。その時、もしかしたら見てくれるかも知れないと思ってブログに書いた詩です。

果して想いは伝わったのか。いまも不安になるます。



鬱陶しい者へ     beebee


伝わらないコトバ

届かない心

許されていると思いたい自分

孤独

弱さ

持て余す自分自身を鼻で笑い飛ばそう


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

2007年10月11日木曜日

母という女について

小学二年生から住んでいた金沢の実家には、母の化粧台が二階の子ども部屋にありました。もとより狭い家だったせいもありますが、そのせいで、私は小さい頃から母が化粧している様子を身近に見て来ました。それは朝の目覚めの時の布団の中で、家事に取り掛かる前の母の化粧姿でもありましたし、夜寝る時に化粧を落としている母の姿でもありました。

母の方はそんなに小さい時からそうだったから、子どもの私に化粧をしている姿を見せることに違和感が無かったようでした。しかし、だんだん大人になって来るにつれて、私は少し距離感を置いて見るようになりました。今思うと母には少し可哀想ですが、化粧という行為は化粧品というもので自分を塗り込めて、色々な見られてはいけない諸々のことを隠していく儀式(作業)のように思えたのです。

ひと昔まえの中産階級の家庭では、多かれ少なかれ、まだ父権社会の様相を残していて、自分勝手で遣りたい放題の父親と我慢する母親の図式が成り立っていました。女性が強くなった今の我々の世代とは大分様相が違いますが、母が化粧をしている姿を見ていると、色々な想いを塗り込めて、押えながら生きて来た女性の姿が重なって見えるように思えました。

でもまた一方で、化粧という、これまた単純で馬鹿な男を手玉に取る技術を生まれながら本能として習熟していて、それを楽しんでいる生き物でもある、ということも思いました。子どもとしては、少し意地悪で残酷だったように思いますが。

この詩は、大学生の私に話しかけながら化粧をしている母を後ろから眺めながら、漠然とそんなことを考えていた自分を思い出し書いた詩です。女性には怒られるかもしれませんね。どうでしょうか?


鏡の女    beebee

楽しそうな女が一人
鏡の中の自分に向かい合って
自分自身のために化粧をしている。
口紅をつけて 自分に
ニッと笑いかける。
あんまり笑いすぎて
目尻には皺がある。
口の回りにはこわい産毛も光っている。
四十をだいぶ過ぎた女が一人
自分の顔を塗り込めていく。
悲しいこともあったろうに、
憤ろほしいこともあったろうに、
頬紅をつけて
自分自身に向かって
微笑んで見せる。
鏡の中の彼女は
息子の私なのかもしれない。
鏡の中の彼女は
彼女の夫なのかもしれない。
あるいは
冷たく自分自身を見詰める
彼女自身かもしれない。
これからも彼女は一人で
化粧をするのだろう。
その時彼女は知っているのだろうか
本当の自分自身の姿を。



@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

2007年10月10日水曜日

人間の弱さについて

人は他人なしには存在できない。自分だけで自立しているようで見えて、他人の評価を気にして生きている。自分の生き方も定まらず自信を失い、次第に変化し完成されない自分がいる。

人は今現在の形も維持できない弱いものだと思う。それでも人に評価されたくはない。(実は評価されたい弱い自分がいる) 他人の評価なんかを超越してそのものとしてありたい、という強い想いはあって、自分や他人を傷つけずにはいられない。

なんか苦しくて、他人に触られても平気な硬い岩石なんかがいいかな、それは、鉱石でも結晶でもない、時間を掛けて硬く固まった、川を下って削られた石がいいかなと思いました。自己を客観化してそんな形に取り出せたらいいなと思います。

そんな想いを伝えたかったような気がします。どうでしょうか?


岩 石     beebee


解釈を越えて存在するもの
人に評価されることを拒絶する
見られること
それ自身も拒絶したい
自分は自分であり自分でありつづける
その完全なる孤独こそが恋しいのだ
果して自分は最後まで自分でありうるのか
どうか
答えもまた拒絶するのは自分の弱さであるか?
天然自然でそこに存在するもの
ころがっている岩石のようなもの
そうだ
ころんところがっている
石でいよう


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

2007年10月9日火曜日

散文詩について

金沢大学出身の私は、たまたま先輩であるということから井上靖という作家の作品を読むようになりました。正確には大学の母体が第四高等学校だったということで、先輩と言うにはおこがましいのですが。ただ、それまで『しろばんば』という小学校の国語の教科書に出て来る小説の作家というぐらいしか知識の無かった私は、そんな偶然から彼の作品を読むようなりました。一度は地元の文学館主催の講演会にも参加したほどです。

彼の作品の中で一番面白かったのは、自分の出自を題材にした、『しろばんば』、『夏草冬濤』、『北の海』の三部作ですが、もう一つ、詩集『北国』という散文詩の詩集がありました。

それまで詩といえば自由詩しか知らなかった私には非常に新鮮に思えました。短歌や俳句が入り安いという訳ではないのですが、定型であるところから、素人でも言葉を組み合わせて歌を作り安いと思います。それに比べると自由詩は自由に何でも思ったことを書けばいいのだと言われても、法則がない分、返って書きにくい。何をどういう風に書けばいいのか初めは分りませんでした。

『自由』って、規制されるものがあって始めて自由でありうる。だから、自由詩は自分の中で自分を縛るもの(自分なりの考え方、ルール)のようなものがないと書けない。それは自分なりの言葉の作り込みであったり、スタイルだったりするのだと思うのですが、それって難しい、取っ付きにくい。散文はその点、リズムや字面なんか考えずに、まず事実や事象を正確に記述することで、読み手にイメージを抱かせればいい。

こんな方法もあったんだ、これも詩なんだと、納得させられるところがあって、非常に新鮮でした。また題材も平易で分かり安く、誤解のしようもない。自由詩に憧れていながら、そんなことから書けなかった私は、無謀にもこれならできるかもと思いました。無茶苦茶な話ですが、実際そう思って何編かの散文詩を書いています。

『ドッチボール』はその意味で題材にも井上靖の影響があって、少年時代の平凡で『みんな』に埋もれている男の子が他者とは違う自分を意識する瞬間を書いたものです。唐突に出て来る耕作という名前は、その頃小説を書く時のペンネームなんですが、分らないですよね。^^);

でも、最近書いている詩(ようなもの)の中にも、自分の中にあるその源流に繋がるものがあると、この頃感じています。どちらかと言うと私は、言葉自身を比喩的に表現するよりも、具体的な事象を書くことで読み手に何らかのイメージを抱いてもらおうとする手法が多いような気がするのです。

どうでしょうか?読んで見てください。


ドッチボール   beebee

乾いた冬空の下で、ぼくたちは白く太い息を吐きながら、汗にぐっしょりとなってドッチボールに戯れていた。ぼくはみんなであり、みんなはぼくであった。白っぽいホコリを立てて風が通り抜けていく広場で、ぼくたちはドッチボールに夢中だった。

「耕作は、いつも、Hの後ろにカクれているんだな。」

敵側の悪意ある子供の言葉に、ぼくは一瞬真空に身体を縮めると、素早く味方を見回した。しかし、その言葉は、みんなの吐く白い息と同じように、透明な虚空に消えて、みんなはみんなの遊びに没頭していた。
ドシン、突然、ぼくの胸にボールは当たると、大きく上方に跳ね上がって、再びぼくの腕の中に落ちた。それはあっけないほど簡単だった。ぼくは初めて捕ったドッチボールに身体中を熱くさせながらも、心の奥底に、自分を冷たく見据えている目が生まれたことに気が付いていた。


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

2007年10月8日月曜日

漂泊者に想うこと

萩原朔太郎の詩に 『 漂泊者の歌 』 があります。

少し長くなりますが、引用します。自分が詩を愛する理由の一つであると同時に、今、自分が詩を書いているアイデンティティの一つだと思っています。


漂泊者の歌   萩原朔太郎

日は断崖の上を登り
憂いは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後に
一つの寂しき影は漂ふ。

ああ汝 漂泊者!
過去より来たりて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば愴爾(ソウジ)として
時計の如く憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を踏み切れかし。

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信じるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁い疲れて
やさしく抱かれ接吻(キス)する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂白ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!


この詩を読んだ時、自分は詩に取り憑かれたんだと思います。

この憂い顔で鉄道線路の横に続く柵の後ろを彷徨いつづけている者こそ、自分だと思いました。ちょうど大学4年になって早々と就職が決まった自分は、試験前に読書に逃げる受験生のように、実世界に出て働くより、なんとかもう少し学生生活ができないものかと考えていました。自分に自信が無かった私は、いったい自分に何ができるのか、そう考えながらどっちつかずで不安定な時期を過ごしていたのです。

石もて蛇を殺すごとく、一つの輪廻を断絶して、意志なき寂寥を踏み切れと言いながら、この詩の主人公は自己が求める真理を追究するに忠実な故に満足を知らず、孤独で何物も信じることができず、愛することもできない。それ故、誰からも愛されることなく、帰るべき家郷はないのです。

それでも、彷徨い歩く主人公は求める真実を得ることができるのか? 否、です。それ故に自分は彷徨い続ける『漂泊者』だと言うのです。

この自己愛に近い、ややナルシズムを感じさせるところが、また、私には心地良かったんだと思います。でも、現実は、この詩を越えて実存するのです。そこはまたそれで面白い訳ですが。

その甘さを感じさせるところも含めて、まさに、これは自分だと思った私は、この断崖を登る太陽を自分なりに表現したいと考えるようになりました。今になって考えると何と無謀なことを考えるものかと感じがしますが、そんなことを考えながら作ったのが この詩、『太陽に』 です。

すごく前置きが長くなり申し訳ありません。この漂泊者の歌がなければ、この詩は書けなかったと思うし、下手な詩に未だに執着している今の自分も無かったと思います。

色々な詩や小説や写真やマンガやゲームや芸術が今の自分を作ってくれました。今の自分の能力も限界も全て有るようにある訳で、正直に見せたいと思います。
どうでしょうか? 何かを伝えることができたでしょうか?
是非コメントをお願いします。


太陽に    beebee

黄色いものが宙に昇り
苦しいものが歩んでいる

ゆけどもゆけども
黄色いものは重たいのだ

ゆけどもゆけども
苦しいものは軽々なのだ

全てのものは反逆している

中天に黄色いものがどっかりと坐り
苦しいものはゆらゆらゆれているのだ




@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

夜の詩について

詩を書き出した頃、実際には就職してから作っているので、更に一年くらい後になりますが、夜をテーマとして毎日、詩を書いていた時期があります。

仕事を終えて帰って来てからなので、当然遅いのですが、ストレス発散でパチンコや夜の書店めぐりをしてから帰宅するので、とても遅くなりました。
やおら、落ち着いて詩を書くわけで、当然夜中近くになります。だから季節感もどちらかというと夜の違いで表現したりとかしていました。

独りで夜中に起きていると、当然トイレに行くのですが、いつも裸足でコンクリの階段や廊下を歩くので、その時の足の裏の冷たい感触を良く覚えています。


独身寮

夜のカンバスの上に
ぼくは一本のボールペンと
一枚の紙を置く
そして
そこに言葉を書きつける
一行 一行
言葉を積み重ねていく
それがぼくの仕事であり
独りのぼくの慰めなのだ
ぼくはボールペンと紙を持ち
寮の中を歩き回る
一部屋一部屋に人がいて
一部屋一部屋想いがあり
一部屋一部屋に悲しみや痛みがあり
あふれる喜びや歌がある
独り
真夜中の道化師
スリッパを脱ぎ
靴下を脱ぎ
素足のままで
寝静まったコンクリートの中を歩く
闇へと続く螺旋階段
ぼくは銀行員
明日の朝までに
下へ降りきっていられるだろうか
ぼくの部屋は509号室
ぼくの名前はT.T.
緑の扉に緑の縁取り
赤いインクで書かれてある
醜い似顔絵の扉を開けると
独りのぼくがそこにいますよ


@人気blogランキング@ ← クリックよろしく

ブログの開始について

詩と写真のブログ「忘れられた記憶を求めて」を書いています。

ただ、単純な形式にしたいので、コメントも載せず、写真と純粋に詩だけのパターンを踏襲してきたのですが、そろそろ次のステップに進みたいと思い、コメント(日記のようなもの)のブログを開始した次第です。

表題は「夜のライオン」です。
これは準備段階で投稿している詩ですが、私が詩を書き始めたころに書いた、初期の詩です。自分のやり場のない、それでもユーモラスでありたい気持ちを詩にしました。その思いは伝わっているでしょうか?

本当は詩と一緒に掲載すればいいのでしょうが、つい筆が滑る性格なので、余分なことも書き込みそうなんで、こちらがエスキースでエッセンスは本体に追記していきたいと思います。